生きる力 〜 注26

公開: 2020年4月16日

更新: 2020年4月18日

注26. 品詞

私たち人間が使っている言葉の要素には、「もの」や「こと」など、話の対象を示すための「名詞」(めいし)が数多くあります。さらに、数は「名詞」ほど多くありませんが、人間や動物などがする「動き」や「働き」を説明するための「動詞」(どうし)、そして「名詞」で示され対象が「どのような様子(ようす)である」のかを説明する「形容詞」(けいようし)などがあります。これらは、何語を使っているのかに関係なく、あります。

「人間」、「日本人」、「犬」、「秋田犬」「猫」、「黒猫」などは、皆、名詞の仲間です。ただし、人間と日本人では、対象が何であるのかについて、その幅の広さに少し違いがあります。「人間」は、普通、ホモサピエンスを意味しています。ですから、黒人も白人も、アジア人も含みます。しかし、アジア人である日本人は、人間の中で、日本国籍の人や、親が日本人である人たちだけを意味します。ですから、日本人は、人間の仲間ですが、人間は、日本人の一種ではありません。

「歩く」、「走る」、「乗る」、「話す」、「食べる」などは、人間が行う動作や行為を指しているので、「動詞」の仲間です。日本語の場合、「歩いている」のように、「...している」と言い換えられる言葉です。この動詞の仲間には、2つの対象の間にある関係を説明する物もあります。例えば、「AさんはBさんの親です」と言う場合の、「親である」と言う表現などがあります。また、「ドイツは、ヨーロッパに属しています」と言う場合の、「属している」と言う表現も同じで、「属する」は動詞です。

「難しい」、「易しい」、「速い」、「遅い」、「薄い」、「厚い」などは、「名詞」で示されている対象の様子(ようす)を説明する「形容詞」の仲間です。日本語の場合、「...しい」のような語尾や、「...い」などの語尾をもつ言葉が普通です。「美しい」や「高い」などが例です。ある対象「Aが、「Bの様子」にある」ことを説明するために、英語などでは、存在を意味する"is"などのbe動詞をつかって、"A is B."のように表します。日本語では、「AはBである。」と言うように、「である」という、文の最後に置かれる特別な「助詞」(じょし)を使います。

このように、「AはBの親である。」ことを表現する場合に、日本語で用いられる「助詞」は、日本語に特有な言葉の要素です。「私が、」の「が」も助詞のひとつです。似たようなものに、英語の「前置詞」があります。"in"、"at"、"to"、"for"などは、全て前置詞の仲間です。前置詞は、ヨーロッパの言語にあるものです。日本語や、朝鮮語などでは、これに対して「助詞」があります。日本語で「私は」と言うときの、「は」は、「助詞」の仲間です。

日本語で、「私は学校へ通っています。」と言うのを、英語では、"I go to school."と言います。「学校へ」の助詞「へ」と、"go to"の前置詞"to"は、どちらも動く方向を示しているという意味で、この例では、同じような働きをしています。日本語では、文の最後に動詞を置くことになっています。しかし、文の主語をどこに置くかは決まっていません。英語では、普通、主語は文の最初になければなりません。ですから、「私は学校へ通っています。」と言う文は、「学校へ通っています。私は。」と言う言い方をすることもできます。また、「学校へ、私は通っています。」と言う言い方もできます。英語では、”Go to school I.”とは言えません。英語では、主語が文の最初であることが決まっているからです。

参考になる読み物